Day 24 その2: ピレネー山脈にダイブする

ラクレットを満喫した翌日、友人のご両親、友人、家主、私の一行はピネレー山脈へへ。

車でピレネーに向かう途中「私、山登ると大抵頭痛くなるんだった!」と思い出したものの。友人のお父上(元軍隊)が選んだ山道は、大変歩きやすく、起伏もほどほど。全く頭痛もなく、サクサク歩けるピレネーマジック。

尖っている山が、ピックミディ。

次の日は、いざ!ルルドの泉へ!

結構な観光地化のルルド。観光で食べてます!という雰囲気が溢れていました。が、奇跡の泉の周りには、車椅子の方や杖をついて歩く人が多数。真摯に祈る人、泉の周りの洞窟の壁を熱心に撫でる人、口付ける人、と、病を治したい思いの人がたくさん。


聖母マリア(推定)を見、泉を見つけたという聖女ベルナデッタ。この像の前には道路を挟んで聖母マリアの像が。

いつだったかテレビでルルドの泉を見た時「私、絶対に死ぬまでそんなとこにはいかないだろうな。実際、ああいうところに行ったらどういう気持ちなんだろうな」と感じたことを、やたらはっきりと思い出しました。
この日感じたことは、「あ、本当にあったんだ」

これ、パリのエッフェル塔でも思ったかも。

Day 24  その1: ピレネー山脈の恩恵に触れる 

今月初め、友人F氏のご実家に3泊4日してきました。
場所は、ピレネー山脈の麓、タルブ(Tarbes)という街。この街、オートピレネー県の県庁所在地なんです!とは言っても、たいていの日本人が「え?どこ?」と首をかしげる知名度は、日本でも地方出身者あるある。

(ちなみに、ピレネー山脈はスペインとフランスの間にある壁のような山脈です。滞在前は、アルプスと位置関係がごっちゃになってました私は)

ですが、実は隣に世界的に有名な町及び泉があります。

そうそう。泉といえば、

ルルドの泉!

ルルドの泉のあるルルド(Lourdes)。フランス語発音だと「ロォドゥ」に近いです。病がちの少女ベルナデッタが聖母を見、泉が湧き出て人々の病を治し、その少女の遺体は腐ることなく生前の姿を保っているという奇跡の泉、ルルド。

てことで、ルルドが近くにある街、タルブに行ってきました。

金曜日。今滞在している街から車で一時間半、F氏のワイルドな運転と着いた邸宅で度肝を抜かれ。

この地域の伝統的な住宅の外観に反して、内部はリフォーム直後!綺麗!ハイテク!ショールームみたいなキッチンとバスルーム……、絵本に出てくる暖炉。リビングの端には、かつて暖炉の中で使っていのか、暖炉の中に吊るす鍋。これで狼を煮るんでしょ?と友人にニヤリ。子豚三匹揃っていたらね。なるほど、前に日本建築家の方から「ヨーロッパでは建築家は、伝統的な住宅の中身をリフォームすることが多い」と、聞いていたまさにそれ。

友人と家主が「なんか日本人は、アルプスの少女ハイジのアニメの影響で、ラクレットに憧れあるみたい」と、友人のご両親にざっくり説明していたらしく、夕飯はラクレット!そして、地方色溢れる各種アペリティフ、美味しいワイン。

ラクレット用のチーズあっため器!

これらに、とろっとろに溶けたラクレット用チーズをかけていただきます。
 さて、友人のご両親から色々日本のことについて質問されたのですが……

「え?なんでクリスチャンじゃないのに日本人は教会で結婚するの?誰が取り仕切るの?司祭???」と勢いよく聞かれて「あ、流行りです。つまりは、経済です。ビジネスです。私はやりません」と答えました。いつか聞かれると思ったけど、やっぱり答えに詰まる。

他の日本人は皆どう答えているのだろう。

Day 10 : 二度目のバスク入り

三度目の渡仏。二度目のバスクフランス、ただいま十日目です。

今回は、3月11日に地元を出発し、12日にスカンジナビア航空で日本を立ち(コペンハーゲン経由でパリ入りが同日、一泊してからビアリッツ空港に13日着)、ほぼ二日かけて到着しました。


コペンハーゲン……まぁこういう記念品が欲しくなりますよね。乗り換えだけだけど、次にいつこの地に足を踏み入れるかわからないもの。

スティンキー大好き!猫大好きスティンキー。

今回の滞在の目的は、語学のレベルアップとここで暮らすための吟味、各種手続き等々。日本から持って来た依頼(ありがとうございます)をこなすことも忘れずに。あと、いろんな人からの助けがあって来られたことも忘れずに!

あっという間に一週間以上経ちましたが。

なんだろ、日本での労働の反動ですっかり燃え尽き症候群。

 先週末には、ママン家に滞在!!

ご飯は美味しいし、猫は可愛いし、色々勉強になるし。何が一番いいって、長男礼賛や嫁は奴隷観念、家を継ぐとか嫁姑とかそういう家父長制から引きずってるわけのわからんものが一切ないこと。

もちろん、不便なところは多々あるけども(主にトイレと風呂)、上記のものがないだけでだいぶ楽。

あ、早くモレスキン買わないと……

Day 74 ~ 76 : l’hôpital 3, et la liberté ( 6/ 20~22 )

《病院その3、そして自由》

さて。

なんとか6月19日金曜日に出獄もとい退院した訳ですが。なんか体力がものすご無い。

とりあえず、金曜日〜日曜日の夜までは母上のお宅にお世話になってましたがその話の前に《病院体験記》の続き。


文字ばっかりですみません。思い出すと、結構辛い。それ故、ちゃちゃっと書き終えてしまいたい気持ちが勝る!

態度の悪い看護師というのは、

確か、3日目あたりに、アレルギー食品ぽいものが夕飯にでた。マコモダケみたいな一見ホワイトアスパラガスの太いやつ。「アレルギーの食品じゃないわよね?」と、フランス母上が食事担当の看護師B(冷たい美人系)に言いに行く。

看護師B、憮然とした顔で違うと言い切る。が、その植物が何科かどうかまでは答えられない。ていうか、名前聞いても私もわからなかった。その場で、インターネットで確認したら、ユリ科ではなかった。

看護師B、超絶不機嫌な顔で退場。

たぶんこの時に彼女はものすごーく私に対して『厄介な患者!』と、恨みがましい気持ちになったのではないかと推測。母上は純粋に私を心配して確認してくれたのだけど、看護師B嬢にとっては面白くなかったと思われる。

確かに、私はめっちゃ日本人(てか、アジアン)ビジュアルなのに、毎日フランス人一家が面会に来ては世話を焼いてくれている謎の状況。ここ、モンドマルサンは観光客もあまりいない上に日本人すら数えるほどしかいない地方の街。

ということで、詳しくは書きませんが、この看護師B嬢の私へのこの後の態度を想像するのは容易いのではないかと。危うくブチ切れる寸前だったとだけ書き加えます。

でも、基本的には、

顎ピアス×金髪ボブカット看護師さんは、(初日の夜しか見てないけど)驚く程優しくて親切でマジで天使だったし。

入院生活全般の説明してくれたベテラン看護師さんは、気さくで気配りが細かくて安心できたし。

ちょっと大柄な、でも朗らかな美人看護師さんは、いつも笑顔で素敵だったし。

後半鷹のような目つきで採血しにくるアメリカンドラマに出てきそうな派手美人看護師さんは、英語とフランス語で説明してくれたし。採血失敗したら、丁寧に謝ってくれたし。失敗しないで欲しかったけども。

素敵な天使がたくさん(※しかし、みなもれなくアクセサリーと化粧、ピアスは標準装備でしたね)。


点滴してる時から「これ、どうやって外すんだろ……、テープ引っぺがしたら針が血管破くんじゃ?」と畏怖。で、点滴外す前、アメリカンな看護師さんが「準備はいい?」と聞いてきた。よくはないけど「うぃ」と答えると、バリッと剥がして、すかさず何かで抑える感触。こういうの苦手なので、見られない。

「終わったわよ、ニコ!」って、何が何だかわからない!!これより採血が死ぬほど痛かったので、もう忘れたい。。。

あと、不幸中の幸いが、入院中、否応なく二十四時間色んな人のフラ語に晒され続けたお陰で、耳がだいぶ慣れました。四月の時よりだいぶわかる……。医療用語も少し覚えたし。

anémie アネミ 《貧血(毎回採血で貧血)》とかmamelon マメロン 《乳首(病院着でノーブラなので痛い)》とか……使わなさそうで使いそうな単語を覚えた。

てことで、19日に無事に退院。

はい、ニベア。日本製の青缶ニベア最強説。あとシアバターのヘアパック、いいです。洗髪前に満遍なく塗って、普段通りシャンプーで洗うだけでだいぶ髪の傷みが回復。

でもやっぱり日本でケアしたい……。 

奥様と、日本人にはやたら難しいフランス語の発音について語り合う。

Day 64~73 : L’ hôpital 2 ( 6/10~6/19 )

《病院その2》

フランスの病院体験について、振り返りつつじっくり語りたいのです。。。

いやー大変でした。

 熱が下がってるときは、フラフラしながらもなんとかシャワー浴びたり、ご飯(ヨーグルトかジュース)食べたり。が、7時間間隔でまた熱が上がる、の繰り返し。

そんで、骨盤のすぐ内側(つまり腎臓)に鈍痛があることにも気付いていたものの、熱とは関係ないと思いこむ。むしろ、熱のせいで深く考えられない。


まさかのシャワー介助。もう介護。

お腹が空く感覚がもうわからない。水でも吐きそうになる。いつ熱が終わるのか考える。熱が上がりすぎた時の後遺症とかは考えられる。全ての考えがマイナスの方向に突っ走るものの、考えに感情が追いつかない。


もうエリッソン母上は命の恩人……思い返すと、この母子の連携プレーによって、私の腎臓が守られたと言っても過言ではない。ってか、それが事実。


高熱から入院まではこんな流れ。途中、見辛いのは、熱で朦朧としてた記憶を思い返しながら書き綴ったため。


しかし、フランスの医療従事者、特に女性の身だしなみが日本と違う気がする。ピアス、ネックレスは当たり前。顎ピアスの看護師さんもいたし、みんな大概化粧がっつりしてる。ガム噛んでる人もいたし。

Day 64~73  : L’ hôpital ( 6/10~6/19 )

《病院》

フランス滞在時々ロンドンリバプール旅に、新たなネタが仕込まれました。

ロンドンスタンステッド空港で背後にいた着ぐるみ。

 わーい、今日は鶏肉だー!!!って、ワイルドだな。病院食のくせに!

というか、入院した夜はコップ一杯の水だけだったくせに、次の日の朝からいきなりのカフェオレとクロワッサンをぶっこんでくるあたり、胃袋の素材が違う日仏。
あと、日仏の平熱が遺伝子レベルで違うことをここの人たちは知らない。
〜入院の経緯〜

6月9日に、無事ロンドンから帰ってきたわけですが。どうも10日の夜から、高熱が出て、薬で下げるを繰り返し(当然木曜から、ジュースかヨーグルトしか食べられず)、とうとう金曜にエリッソンの母上宅に行きまして。
土曜の午前中にかかりつけ医を受診、ウイルス性胃腸炎とのこと。???とも思ったものの、一時回復。しかし、午後からまた熱が上がり、とうとう中央病院に連れて行かれる。

色々検査を受けて、結果的にそのまま入院。

入院です。

原因は、腎臓にバクテリアが入ってどうのこうの。腎臓の管か血管が切れる寸前だったとのこと。膀胱から進入ということで、先月の膀胱炎が悪化?と思ったら、別物。

え?別物?ヌーボー膀胱炎???

かくして、土曜夜からまさかのフランス入院生活をしておりました。私、今まで入院、手術、骨折、点滴すらしたことない履歴だったのに……点滴生活!※現在(6/20)は無事退院してます。

病院ネタもだいぶ仕込んできたので、のちのちまとめたいものです。

Day 55~ 58 : faire les [ses] préparatifs de départ ( 6/1~4 )

《出発の準備をする》

家主が週末、友達と旅行に行くので私も旅行に行きます。
『いや、お前今すでに旅行中だろ』って、自分で突っ込んだんでこのまま旅行in旅行記を進めていきますね。 
ロンドン3泊〜リバプール2泊の五泊六日の旅なんですが、帰って来てみるともっと荷物は少なくできたかなーと反省。

まず、パンツは三枚もいらない(嫁入り前のアラサーなのにね)。手ぬぐいも一枚でいいし、知ってる街ならMAPを駅や空港で貰えばいけるのでガイドブックもいらなかったかも。

逆に、あって良かったものは、簡易スリッパ、部屋着、ふろしき、コットン、ビニール袋、スマホ充電器……かな。

うん。なんなんですかね。ビザあるから!

チェックインカウンターのお姉さん方に聞きに行ったこのオバちゃん、実はビザについてよくわかってないんじゃないかと。  だって、最初からカウンターの右端のお姉さんは、ニコニコしてオッケーだからねとジェスチャーしてくれていたから。

ライアンエアーのCAさんから、無理やり非常口脇の席に詰め込まれる。更に有無を言わせず荷物を全て取り上げられる(※非常口脇だから)。

そんなこんなで、6月4日、ビアリッツ空港を17:00くらいに出発!

が……ライアンエアー!!!!
離着陸が死ぬほど怖い!いきなり加速して離陸ANDいきなり降下して着陸のちに機体が壊れるんじゃないかって勢いで止まる。

旅行前、リバプールでお世話になる友達ビクターくん(仮名)に『ライアンエアーで行く』とメールした際、『ああ、あのヤンキー航空』と返ってきたその意味を身をもって知る。

更に、スタンステッド空港からロンドン行きのバス探し→久しぶりのロンドンチューブの切符の買い方を忘れて戸惑う→電車内でバッグの写真を所望される→ホテルの入り方がわからない→五人部屋…………と、盛り沢山。

若い異国のおなごたちとともに就寝!

Day 52, 53 : en Espagne ( 5/29,30 )

《スペインに》

行ったのですが、なんと食べ物のことしか描いていない。

スペインが近いのはわかるんだけど、この「スペイン行くよ直前予告」にびっくり。島国と大陸のギャップ。



ほんとーに、橋一本でスペインでそこはスペイン。言葉も雰囲気もスペイン。フランス語もみんな早口で話すけど、スペイン語はさらに早口。もう何が何だかわからないグラシアス。

さて、景色はこんな感じでした!

  

そして、日が暮れるといきなり寒い!